毎日の通勤経路は、JR錦糸町で電車を降りて北口から北斎通りへと歩きます。長崎橋跡から公園に入ります。
今日初めて気が付いたんですけど、この公園「大横川親水公園」っていうんですね! なるほど案内板があるじゃないですか?
なにやら「大横川親水公園」のことが書いてあるらしいのですが、恰好つけた案内板(?)のおかげで非常に読みづらいです。私が書き写してみました。
「大横川親水公園案内
施設の概要
この公園は、大横川の一部を埋め立ててできた親水公園です。
公園の大きさは、幅30~40m、長さ1.85km、面積約63,000㎡
で、墨田区の中心を流れる北十間川との合流地点から、墨田区
の南側を流れる竪川との合流地点までの区間となっており、
平成 5年(1993年) 4月1日に開園しました。
園内は北から 5つのゾーンに区分され、それぞれ色彩豊かな
花の広場と釣り堀(釣川原ゾーン)、子供たちがじゃぶじゃぶと
遊べる水路(河童川原ゾーン)、緑豊かな渓谷と多様な生き物が
生息するビオトープ(花紅葉ゾーン)、解放感のあるイベント
広場(パレットプラザゾーン)、様々なスポーツが楽しめる
広場(ブルーテラスゾーン)の特徴を持っており、公園利用者へ
貴重な憩いの空間を提供しています。
歴史と沿革
大横川の歴史は、明暦 3年(1657年)の江戸最大の火災といわれる
大火から始まりました。
江戸幕府は、復興の際、火除地等の確保のため、家屋の移転を図り、
河川を掘り開き橋を架け、土地の整備を行いました。このとき掘ら
れた河川の一つが大横川で、本所地域を南北に貫通しており、近年
まで舟運、材木の貯留など産業経済の発展に貢献してきました。
しかし、道路・鉄道の整備や経済環境の変化によって、かつての
機能は失われ、昭和 56年(1981年) から大横川の埋め立てが進め
られました。その後、緑と清流を復活させ、豊かな自然を楽しめる
憩いの空間づくりを基本に公園整備を行い、平成 5年(1993年) に
完成しました。
横川という名前の由来は、江戸城に対して横の方向に流れている
ことからきています。その後、昭和 40 年(1965年)施行の河川法に
より推計を一にしていた大島川とつなげて、大横川と呼ばれるよう
になりました。」
へー!! 水路だったのを埋めてしまったのは知っていても、その水路は人間が掘った人工の水路だったとは知らなかったですね! 江戸城に対して横に流れているから横川というのもへー!!です。
最初の橋が清平橋(きよひらはし)です。
次の橋が法恩寺橋です。通っているのが蔵前橋通りです。ここまでくるとスカイツリーまでかなり近いです。
この橋で親水公園を離れて蔵前橋通りを蔵前橋方向へ歩けばすぐ職場です。
通勤ルートでは逆行しますが、長崎橋跡手前にある神社。いかにも外国人が好みそうな景色です。事実立ち止まって写真を撮影している外国人をよくみかけます。
年 | 月 | |||||
2017 | ||||||
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | ||
2016 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
6月 |