8月1日の関東地方は大気の状態が不安定になっていて、雨の降りやすい空模様になっていました。晴れていたかと思うと、一瞬にして真っ暗になり大雨。そして、また晴れ。結構ネットでも話題になっていた「スカイツリー周辺で雨柱が」ですが、職場がスカイツリーの近所なので見ることができました。黒い雲がまだら模様に垂れこめていてとても不気味な空でした。
雨柱といえば(雨柱という名前は今日始めて知ったのですが)だいぶ昔に河口湖でくっきりとした雨柱を見たのを覚えています。湖岸の道路を走りながら湖面を見ると、湖の真ん中あたりだけに雨が降っていて。その周辺は晴れていたのです。ものすごい不思議な光景だったので今でも目に焼き付いています。
今日は千葉県にも大雨,洪水,雷,竜巻 の注意報が出ていました。竜巻といえば1990年に発生した茂原の竜巻が有名です。1名の方が亡くなり負傷者73名、全壊82戸、半壊161戸、一部損壊1,504戸という被害で、当時は戦後最大の竜巻被害と言われていましたが、その後それを上回る竜巻が度々出現しています。
茂原の竜巻は結構近くで体験しているので、少し述べて見たいと思います。当時は長生村に引越してきて1年が経過していました。通勤電車にも慣れ、その日も外房線直通の快速電車で家路についていました。確か茂原に19時17分位に茂原駅に到着する電車だったと思います。大網駅を定刻で発車した電車は、勾配を下り永田駅を通過して直ぐに車両の照明が消えました、電車は暫く惰性で走り続けましたがやがてゆっくりと停車。車内の照明は1両に1灯の非常灯だけでした。社内放送では落雷による停電で停車しているとのことでしたが、1時間が過ぎても、2時間が過ぎても、なにが起きているのか全く知りませんでした。3時間を過ぎた頃でしょうか、「通勤途中のJRの職員の方がいたら車掌室へ来て下さい」との車内放送が流れました。何だろう?と思っていると、暫くして「当列車は運転再開の見込みが立っていません、乗客の皆さんは最後尾車両のドアから外へ降りて下さい」との放送がありました。先ほどの「通勤途上のJRの職員」とは、乗客が列車から降りる手伝いをする人間を呼んでいたのでした。
最後尾車両まで行って、列車から降りる番がきました。いつもはホームから降りているのですが(あたりまえですね)列車のドアから線路上って結構高いのです! ちょっと躊躇しましたが下で待つJR職員のかたの手をつかんで、ほとんど飛び降りるようにして線路上に降り立ちました。列車が止まったのが永田と本納の中間(少し永田寄り)でしたが、救援バスが本納駅に来るということなので、線路わきの道路を歩いて本納までいきました。本納駅では既に救援バスが来ていて、順番に乗り込みました。
バスが走りだして暫く、みんなはなにが起きたのか知らなかったので、バスの中ではみんな口々にJRの対応の悪さを話していました。そんななか、ラジオを聞いていた一人が、「茂原に竜巻が発生して大変なことになってるらしいぞ!」と叫びました。それまで文句ばかり言っていた人達の口が、自分の家は大丈夫か?家族は無事だろうか? 家族を心配する言葉に変っていたのです。
バスが次の駅である新茂原に到着して何人かが降りられて、再び茂原駅に向けて出発してから直ぐに、あたりの風景が一変したのです。さらに進んで市街地にはいって行くと、屋根が無くなっている家やひっくり反っている商店、ガラスが全部割れたビル・・・・それは悲惨な状況でした。やっと茂原の駅に到着したのが午前0時過ぎでした。
ちょうど茂原と新茂原の途中にJRの変電所があるのですが、そこが竜巻の被害に遭って電気が供給できなくなったことで、その日から3日間ほど外房線は不通になりました。おかげで公欠扱いで休むことができたのです。あれからもう26年も経つのですね!
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