今住んでいるところ、今勤務している職場周辺のことを順に紹介してきましたが、今日は生まれ育った所の話題です。
私が産まれたのは、母親の実家がある豊島区駒込ですが(産まれただけです)、育った所は杉並区です。杉並区は、今では立派に東京23区内の住宅地ですが、私の幼少のころは凄い田舎でした。
駅前(井の頭線富士見が丘)の商店もショボショボ、ほとんどが畑、水田も結構ありました。近くに井の頭公園を源にする神田川が流れていましたが、流域はすべて水田でした。
神田川と並行して走る井の頭線、当時は永福町に車両基地があったのですが、私が小学生のころに富士見ヶ丘に移転してきました。線路の近辺の水田がどんどん埋め立てられていったことを今でもはっきり記憶しています。水田の所々には湧水が涌いてとてもきれいなところでした。鮒やドジョウ、ザリガニを採って遊んだ記憶があります。そうそう、鰻を採ったこともありました。
当時の杉並区久我山は、今住んでいる千葉県長生郡長生村よりも、より立派な田舎でした。買い物も、地元の商店ではすべてが揃わないので、週末には井の頭線に乗って吉祥寺まで買い物に行っていました。特に覚えているのが吉祥寺の味噌やさんです。近所にスーパー(西友)が開店しても、味噌だけはそのお店に買いに行っていたのを覚えています。
当時は、新宿も渋谷も田舎の駅で、娯楽と言えば浅草まで足を延ばしていたような気がします。木造の駅舎だった新宿駅。代々木体育館があるあたりは、駐留米軍士官の住宅だったワシントンハイツ。父が勤務していたこともあり、よく行ったので覚えています。まるで日本じゃないみたいでした。といっても外国を知っている訳もないのですが!
子供のころは井の頭線も3両編成のローカル線でした! 東京オリンピックのころにステンレス製の車両が走り始めました。ステンレス製の車両が導入されたのは、東京でも早かったように思います。富士見ヶ丘から久我山、三鷹台、井の頭公園、吉祥寺へと向かう電車は、就職してからも職場へ向かう路線でした。吉祥寺は正に、私の青春時代の街です。もう何年も行っていないので、どんなになってしまったんでしょう! 近鉄百貨店はもうないと聞きましたが・・・・浦島太郎ですね!
そうそう、最近ネットで知ったのですが、井の頭線の神泉駅が改良されて全ての車両のドアが開くようになっているらしいですね!私が利用していた頃は、3両分のドアしか開かず、最後の1両はホームが無いのでドアが空かなかったのです。そうそう急行だって無かったんですよ。全てが各駅停車でした。
そんなこと言ってると歳がわかりますね! でもほんとうに自然豊かな場所でした、信じられませんね。
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