昨日は現在住んでいる所の「村人じやお」について書きましたが、今日は勤務地の話をしたいと思います。
最近20年間の勤務先は、台東区蔵前→墨田区横網→台東区御徒町→墨田区石原と言う具合に、隅田川を挟んで行ったり来たりの状態です。最初にこの地域に転勤してきたときは、山の手の育ちの私にとっては、下町のこのあたりは新鮮な感じがしたものです。
台東区・墨田区といえば池波正太郎。ここに勤務するようになってから、ご当地作家ということで時代小説を読み始めました。『剣客商売』はまさに墨田区が舞台、主人公の秋山小兵衛が暮らすのが鐘ヶ淵(鐘ヶ淵といえばカネボウ(鐘淵紡績)の創業地)。小兵衛の後添いのおはるは関屋村の百姓・岩五郎とおさきの次女。などなど、墨田区内が物語の中心。『剣客商売』を読めば読むほどこの地域への愛情が高まりました。
『仕掛人・藤枝梅安』や『鬼平犯科帳』も舞台は台東区・墨田区です。
時代小説といえば、今は佐伯泰英。この人の時代小説も、隅田川界隈が舞台になっていることが多いですね。隅田川(大川)があって、竪川(たてかわ)、横川などの人工河川が碁盤のように走っています。小説のなかでも、これら川を船で移動するシーンが多く登場します。このあたりは水の都と呼ぶのにふさわしい地域だったようです。今ではほとどの堀が埋められて公園になっています。
皆さんは竪川・横川の名前の由来をしっていますか? 現代の地図だと普通ノースアップ(北が上)ですよね、そうすると地図上で竪川は横方向に横川が縦方向に走ることになります。
以前、職場の近所にある、古くから商売をやっている会社にお邪魔して、飾ってあった古地図を見せてもらったことがあるのですが、江戸時代は江戸城を中心として考えるので、地図も上に江戸城(隅田川)となります。そのとき私が見た地図も隅田川が地図のトップに水平方向に書かれていました。江戸城(隅田川)に対して縦方向に掘られた川なので竪川、横方向に掘られたのが横川となるわけです。
竪川の開削後すぐ、隅田川(大川)に近いほうから順に一之橋から六之橋まで単純に番号を振った橋が架けられましたた。これらの橋は通称として「一ツ目橋」「二ツ目橋」などとも呼ばれ、「三ツ目橋」「四ツ目橋」を渡る通りは後にその名を取って「三ツ目通り」「四ツ目通り」と名付けられました。ちなみに現在の勤務先は三ツ目通り沿いにあります。なお、二之橋・五之橋を渡る通りは現在それぞれ清澄通り・明治通りと名付けられている。一之橋は回向院の南西に現存し、この橋を通る道路は墨田区によって「一の橋通り」と名付けられています。また、かつては新六の橋の東側に「六之橋」もあったが、前後の区間が完全に暗渠となったため、現在は橋ではなく単なる道路として扱われています。
このように、通りの名前ひとつにも歴史があるので大変面白いです。時代小説ファンにもたまらない地域なんじゃないでしょうか?
墨田・台東地域は、東京スカイツリーや浅草といった東京の観光名所があります。特に東京スカイツリー近辺は、開業の前と後を知る者にとって、最近の観光バスの多さには驚かされます。東京スカイツリーと浅草が一体となった観光地として、国内だけでなく、海外からも多くの観光客を集めています。最近気がつくのは、中国からの観光客だけでなく、欧米からの観光客も非常に増えているということです。
東京スカイツリーが開業してから、ずいぶんとオシャレな街になりました。特に錦糸町の北口から東京スカイツリーまでの通りに「タワービュー通り」という名前がついて道路が整備されとても素敵な通りになりました。
古くて新し街、墨田・台東。私は好きです!
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