千葉県はフルーツ王国

昨日車で走っていたら、近所で梨狩りをやっていた、えっ!もうそんな季節か!とびっくり。ついこないだまでイチゴ狩りやってたと思ったのに! そういえば房総半島って果物狩りの宝庫ですね!

周りを海に囲まれた房総半島は黒潮の恩恵で温暖な気候に恵まれて、1月から5月にかけてイチゴ狩りが楽しめる農園やレジャースポットがたくさんあります。我が家の近所では上総一宮の近藤いちご園が有名です。総面積2,400坪の広大なビニールハウスでは、20種類ものイチゴが栽培されています。多くの品種を食べ比べが可能なところが近藤いちご園の特徴です。これだけの種類を楽しめる所はなかなかありません。めったにお目にかかるかかることのない品種を、思う存分味わってみましょう。
イチゴ狩りで食べるイチゴとスーパーで売っているイチゴの違いは、なんといっても太陽の香りがするイチゴが食べられることではないでしょうか!この感覚、食べたことのある人しかわからないでしょうね?

梨といえば鳥取県の名産品のような気がしますが、千葉県は土壌条件、気象条件に恵まれた梨の栽培適地で、なんと栽培面積、収穫量、産出額ともに、日本一なんだそうです。また、関東で最も早い時期に出荷されます。「幸水」はすでに出荷が始まっているようです。最近目にしなくなった「二十世紀」梨は、鳥取県が日本一の産地だったことがありますが、発祥の地は千葉県松戸市だったというから驚きです。
また、千葉県の梨の特徴は、直売・宅配や観光もぎ取り園などの市場外流通が多く、全流通量の70%以上なんだそうです。だから、あまりスーパーで売られているのを見ないんですね。千葉が梨の生産量日本一だというのが実感できないわけですね。
我が家から近い梨狩り農園と言えばやはり上総一宮にある旭原農園が有名です。8月上旬~9月中旬まで、もぎたての瑞々しい梨の味と香を体験することができます。
千葉県といえば、びわの産地としても知られています。日本では1位の長崎県に次いで2位の収穫量を誇ります。びわは寒さに弱いので温暖な地域でしか栽培できない果物です。千葉県でも特に温暖な南房総市で多く栽培され、観光農園も多くあります。時期はゴールデンウィークの頃から6月上旬位までです。30分食べ放題で3千円前後と結構高めです。

ちょっと変わったところでは、いすみ市にある宮原オートキャンプ場では、春にはタケノコ掘り、山菜採り、ブルーベリー摘み取り、くるみ割りなどが体験できます。また、いすみ市にある青木農園、片岡農園、五平山農園の3つの農園では7月~8月にかけてブルーベリーの摘み取りができます。ブルーベリー狩りと言わないところがおもしろいですね。

千葉県では、その他ぶどう狩り、みかん狩りもできますが、やっぱりぶどう狩りは山梨へ、みかん狩りは神奈川・静岡へ行った方が良いでしょう。

外房と内房と房総半島のこと

何気なく自分の住んでいる長生村は外房だと思っていました。通勤で乗る電車は外房線だしね! 改めて外房って何?   ってことでちょっと調べてみました。外房、内房の定義は結構諸説があって定かでありません。

いろいろな辞書で調べてみると微妙に違うのがおもしろいです。

ある百科事典では、洲崎から御宿町付近、ときに太東崎までが外房。また別の百科事典では、洲崎から勝浦市まで。というように具体的に範囲が指定されています。内房との境はいっしょですが、終点がそれぞれ違いますね。

また、他の辞書では「洲崎から太平洋に面する一帯」とか、房総半島南東部の太平洋沿岸とか、かなり範囲が大雑把です。

ですが、案外とみんなが感じている外房ってこんな感じかも? しかし、これまで紹介した辞書で概ね共通しているのは、内房と外房は、館山(たてやま)市洲崎(すのさき)を境界とする。外房の範囲は古くは太東岬手前まで。そのままだと九十九里浜を外房の一部と呼ぶのは無理がありそう。

しかし、私の感覚では九十九里浜まで外房なんだけどな~~!

まあ、無理に外房や内房と分けなくなくてもいいですよね。み-んな房総半島には変わらないんですから! でも分けることが大事なのはJRさんですか?でもなんかしっくりこないのが内房線が館山からぐるっと外房の海岸線へ出て安房鴨川までってことです。なんか外房の一部が内房線に取られたような・・・。やですねー、根性小さいですねー! 自分でもこんなにスケールが小さい人間だなんて気がつきませんでした。でもそれだけ「I LOVE 外房」 なのかな? だめだめ「I  LOVE  BOSO」じゃなきゃ。

話はかわりますが、外房(そとぼう)・内房(うちぼう)って読み方はいわゆる湯桶読みってやつですね。旧国鉄時代はそれを嫌ってか、外房(がいぼう)・内房(ないぼう)って読んでた時代があるようです。そとぼう・うちぼうが当たりまえな私達にとって、なんだかとっても違和感のある読み方です。湯桶読みの反対が重箱読みですが、これの代表選手が同じ千葉県にある東金(とうがね)市ですね! なんだか千葉県は面白い読み方をする地名の宝庫ですね。さすがチーバくん!

 

 

九十九里浜のビューポイント

九十九里浜は房総半島の東、太平洋に面する全長約66Kmの海岸で、見渡す限り白い砂浜が続きます。日本の白砂青松100・渚百選にも選定されています。

海岸線には9の市町村があります、北から順に旭市、匝瑳市、横芝光町、山武市、九十九里町、大網白里市、白子町、長生村、一宮町です。5つの河川が海に注ぎ込んでいます、これも北から順に栗山川、木戸川、作田川、南白亀川、一宮川です。

江戸時代には漁業が栄え、主に地引網によるいわし漁が行われていました。漁港が無いため次第に衰退しました。九十九里浜中央部、作田川河口に唯一の漁港である片貝漁港があります。この漁港は九十九里浜漁民念願の港なのですが、この港を作るために構築された防波堤が九十九里浜の海流を変えたと云われています。皮肉な結果となってしまいました。

九十九里浜の後方に広がるのが堆積物が堆積してできた九十九里平野と呼ばれる平地です。最高でも海抜10m以下の低地が続きます。なので、基本的に九十九里浜は、沿岸からは見えない(海岸に行かないと)のです。海の背後に山か丘陵でもあれば、海を眺めることができるのですが・・・・。基本的に九十九里浜では海を望むビューポイントはあまり期待できないってことになります。

通称「波乗り道路」とも呼ばれる九十九里有料道路が海岸線に沿って約17km続きます。この道路からのビューは最高ですが、運転中の脇見は厳禁です。ただ、この九十九里有料道路は九十九里沿岸の海岸津波対策ということで、かさ上げ工事中です。平成28年3月31日まで全面通行止めになっています。昨年は夏の観光シーズンに無料開放され、訪れる人たちに喜ばれましたが、今年は観光シーズンも含めて通行止めなので、観光業にとっては痛いです。

「波乗り道路」からのビュー以外は良好なビューポイントが無い(海岸近所のホテルやリゾートマンションの高層階以外)のですが、例外が2つあります。九十九里浜の北と南の端っこにあります。

北の端っこにある刑部岬にある屏風ヶ浦の西端の断崖絶壁に立つ展望館からは、眼下に飯岡漁港が広がり、その向こうに九十九里浜の湾曲した長い海岸線を一望できます。ここは、「日本の夕陽・朝日百選」「日本夜景遺産」等に認定されているので眺めは保証付きです。

もう一か所、それは私のお気に入りでもあるのですが、「波乗り道路」の一宮終点を過ぎて国道30号線(九十九里ビーチライン)を南下すると、お洒落なレストランやサーフショップが現れます、さらに南へ進み東浪見海水浴場あたりになると道路から海が見えるようになります。このあたりは標高が結構高いようです。国道128号線と合流して暫く行くとちょうど九十九里浜の南端に位置するところに「ガスト上総一宮店」があります。迷わず駐車場に車をいれましょう。この駐車場から北側に湾曲した九十九里浜が見えます。天気の良い日には屏風ヶ浦まで見ることができます。ガストの窓が海側に開いていれば食事をしながら海が見えるのに・・・ とっても残念な店の配置です。どうしても海を眺めながら食事がしたいなら、隣のレストラン「波音(Namioto)」がお勧めです。

伊能忠敬は九十九里浜の出身だったんだ?

伊能忠敬といえば、五十歳を過ぎてから日本の浜を歩いて測量し 日本地図を完成させた江戸時代の地理学者、測量家として有名ですが、なんと生まれが九十九里浜だったんですね。知ってました?

伊能忠敬は現在の千葉県山武郡九十九里町小関の名主の家で生まれました、幼名は三治郎。その後伊能家に婿入りし、忠敬と名乗ります。伊能家は現在の香取市佐原にある酒造家。忠敬は傾きかけていた伊能家を再興、かなりの財産を築き50歳で隠居する。その後江戸に行き、暦学、天体観測を取り組み、蝦夷測量により地図を作製、この地図の出来がよかったため、幕府より日本全国の地図作成を命ぜられる。

日本全国を歩いて廻り、『大日本沿海輿地全図』を完成させ74歳で亡くなる。

みんさん御存じの伊能忠敬の一生ですが、千葉県しかも九十九里浜の出身とは知りませんでしたね。出身地の九十九里町では、九十九里町小関にある伊能忠敬の生家跡地を「伊能忠敬記念公園」として整備し、銅像も建立されています。

なんといっても伊能忠敬の凄いところは、日本地図の製作を隠居後の第2の人生で成し遂げたことでしょう。当時の平均寿命をとっくに超えてからだと思います。一生かかっても出来ないような仕事を人生の半分でやってしまうなんて凄いですね。そんな忠敬なので、生家以外にもあちこちに史跡があります。伊能家があった佐倉には伊能忠敬記念館、江戸深川には伊能忠敬住居跡の碑がといった具合です。

その中でもユニークなのが、2016年6月5日に開催された「第7回浜マラソン in 山武(さんむ)・九十九里」でしょう。「浜マラソン」という新しいカテゴリーのレースで、伊能忠敬が全国の浜を歩いて測量したことを顕彰しているのです。

競技種目は、40Km、20Km、10km、駅伝(10km×4人)の4部門です。いずれも千葉県北東部、山武市の本須賀海水浴場をスタート・ゴールとし、1周10㎞の周回コースで行われます。この大会のユニークなところは、水を含めレースに必要な行動食は、ランナー自らが背負って走らなければならないということです。スタート前には、レース中の必需品検査が行われ、必需品が未携帯の場合、ペナルティ が与えられます。他のマラソンにはチョット無いルールでおもしろいですね。

この100%浜辺を走る「浜マラソン」は、房総半 島の中でも特に美しい浜や海を満喫しながら走れるのも魅力です。浜を走りながら、遠く伊能忠敬の偉業に思いを巡らすのも良いのではないでしょうか?

九十九里浜のアクティビティ

房総半島南東の太平洋に面した海岸線を九十九里浜と呼びますが、全長約66キロメートルの海岸です。日本の白砂青松100や渚百選にも選定されている程の美しい海岸です。なんといっても手つかずの66キロメートルにも及ぶ砂浜があるということです。大前研一氏が、九十九里浜はオーストラリアのゴールドコーストのようになりうるとまで言わせる程、可能性を秘めた土地なのです。

大前氏は、日本型海水浴ビーチの発想から、国際的ビーチリゾートを目指すべきとおっしゃってますが、すでに日本型海水浴ビーチという性格は大分無くなってきているように感じます。いまや九十九里浜といえばサーフィン、サーフィンのメッカになりつつあります。九十九里浜は、神奈川の湘南地域とともに関東をいや、日本を代表するサーフスポットです。太平洋に面していることから、湘南地区の海岸と比較すると波は高く少し荒いのが特徴です。湘南海岸がサーフィンの初心者向けなのに対して、九十九里浜は中・上級者向けと言われています。実際毎年のように国際大会が開催されています。2020年の東京オリンピックでもサーフィンが正式種目に決定しましたが、一宮・太東地区での開催を目指しています。もし、オリンピックが開催されたら、国際的ビーチリゾートになるきっかけになると思うのですが・・・。

最近は、おしゃれなサーフショップやサーフィンスクールもたくさんあるので、初めての方でも気軽にサーフィンを体験できます。長生村内にもサーフィンスクールがあります。平日の早朝でも来られる方が多いのにはびっくりです。

【乗馬】また、サーフィンだけでなく、九十九里浜に数か所に乗馬クラブがあり、砂浜で乗馬を楽しむことができます。

【フィッシング】砂浜からは、投げ釣りもできます。夏でも海水浴場に指定されたところ以外では可能なようです。

【Paraglider】変わったところでは、モーターパラグライダーを楽しむ人達を見かけることがあります。ここ長生村の一松海岸で、実際に飛んでいる所をみたときはびっくりしました。

【Triathlon】日本国内最大規模のトライアスロン大会が2014年に初めて一宮海岸で開催されました、オリンピックと同じくスイム1.5km・バイク40km・ラン10kmのコースが設定されています。「99T(九十九里トライアスロン)」という略称で毎年開催されています。今年も9月24日に開催されます。只今エントリー受付中です。昨年までは、開催に合わせてJRでは「サイクルトレイン」を両国と上総一宮駅間で運行し、自転車をそのまま列車に積み込むことができるなど、参加者には嬉しい列車ですが、今年はどうなんでしょう?

多彩なアクティビティーの九十九里浜ですが、それぞれが勝手に発展してゆくのではなく、九十九里浜の全体をグランドデザインしながらトータルに発展していってもらいたいですね。

長生村 長生 ながいき

長生村は千葉県長生郡にある村で、「ちょうせいむら」と読みますが、ブランド名として「ながいきむら」と読む場合もあります。ブランド名としての「長生」という名前は長生郡内でなら使うことができます。

ここで、長生郡長生村の名前の由来をおさらいしておきましょう。まずは長生郡ですが、今の長生郡のあたりは、その昔、長柄(ながら)郡に属していたが、その長柄郡に1897(明治30)年、上埴生(かみはぶ)郡が統合され、長柄郡の頭文字の「長」と上埴生の最後の文字「生」を取って長生郡にした。今でも合併するときにお互いの名前から一文字づつ取って新しい名前を付けるなんてことをするが、まさに長生郡がそうだったんですね! 「長生」という名前に大した云われは無いってことですね。住民が長生きだったとか・・・・・

次に長生村、長生村は1953(昭和28)年、八積、高根、そして「驚」地区を含んだ一松の3村が合併してスタートしたわけですが、このとき、新しい村の名前を決めるのに一般公募も行なわれ、多数の応募もあったが、結果的に長生村と命名された。「千葉県町村合併史」によると、「新村の名称は、長生村と決定した。それは、同一性格を持つこの3村が長生郡内における町村合併のさきがけとなった事実を永く記念し、かつ、新村の住民が永久に繁栄しようとする念願を表わしたものである」という記述がある。確かに長生村は、長生郡での大合併の先駆けとして最初に合併して誕生した村なんです。だから長生郡の「長生」をちゃっかりいただいちゃったってことなんですね。名前から判断すると、長生郡長生村は長生郡の中心どまんなかって感じがしますけど、残念ながら違うのでした。

以上のように、長生郡も長生村も、名前の由来はけっこういい加減。深い意味はないのでちょっとがっかり! 元々「長生」はながいきという目出度い言葉なので、日本中にあります。特に名前にあやかって病院や老人介護施設に命名されている場合が多いですね。

数年前まで勤務先の近所のビルの1階に、「有限会社長生介護」という会社ありました。今は他の場所へ移転したようで空き部屋になっているのですが、最初にその名前をみたとき、社長さんが長生郡か長生村の出身だとか? そんな関係かと思っていましたが、全然関係ないようでした。

日本全国にある長生○○をいくつか紹介してみましょう。福岡市博多区の「老人福祉センター長生園」。奈良県橿原市の「社会福祉法人 長生会」。佐賀市嘉瀬町の「医療法人 長生会」。福島県南相馬市の「介護老人保健施設長生院」。まだまだ沢山ありますがこの辺で・・・。医療・介護関係の次に多いのがお寺さんでしょう、長生村の長生観音とも縁があるのが広島県竹原市の「長生寺」(ちょうせいじ)。お寺の名前は音読みがおおいのですが、こちらは長生村と同じ様に(ちょうせいじ)と読みます。山梨県都留市にある曹洞宗長生寺、福岡県朝倉市の曹洞宗 医王山 長生寺。これらのお寺は(ちょうしょうじ)と読みます。同じ長生でもいろいろな読み方があるものですね! そうそう、お城にも長生がありました、山口県下関市の長門・長生寺城(ながと・ちょうしょうじじょう)です。

 

 

 

 

長生村じまん

以前、「村長自慢の尼ヶ台総合公園」ということで、長生村じまんをお伝えしましたが、長生村で誇れるものがもう1つありました。それは、公共下水道があるってことです。

千葉県のホームページによると、千葉県の自治体で下水道事業を行っているのは35市町村あるそうです。

ここで大事なのは35市町村という記述です。35の自治体の1つは村だということです。長生村は県で唯一の村なので、35市町村の内の1つはまぎれもなく「長生村」ということになります。そして、長生郡の町村で下水道事業をおこなっているは長生村だけということです。長生郡内の町を差し置いて下水道事業をおこなっているのです。

長生村では、平成4年度に事業認可を受け、それから下水道の整備が始まりました。我が家の排水が下水道に接続したのは平成9年頃だったと記憶しています。

当時の村長が下水道事業を強力に進めたのですが、「下水道事業はお金がかかるので、浄化槽に対する補助金を支給すればいいのではないか」という意見も多かったようですが、半ば強引に下水道事業を進めた結果、今では大変喜ばれています。

下水道ができるまでは、生活雑排水はそのまま水路から海へと流れていたのです。そのため貴重な観光資源である海の水が汚染されていったのです。海水浴シーズンが始まる前に、千葉県では海水浴場の大腸菌検査を行っていました。見た目は大変きれいなのですが、大腸菌の数は結構多くて、毎年基準すれすれのところで海水浴場をオープンさせていたのです。生活排水がそのまま流れていくので当たり前と言えば当たり前の話ですね。

村内に下水が開通し始めると、水質もだいぶ改善されてきたようです。当時の村長は、先見の明があったということですね。尼ヶ台総合公園もそうですが、前々村長の功績は大きいといったところでしょうか(当時はいろいろ批判もあったようですが)?

排水を下水に接続すると、上水道の使用料に比例して下水道料金がかかってきます。よけいなことをするから余分にお金がかかるといった批判もありましたが、環境問題は最優先で取り組まないと観光事業は成り立ちません。きれいな海があってこその九十九里浜ですからね! 九十九里浜に面した自治体では、まだまだ公共下水道事業(コミュニティ・プラントを除く)を行っているところは少ないです。貴重な観光資源であるきれいな海を守るためにも公共下水道事業を普及してもらいたいものです。

ということで、村なのに町より下水道が完備しているという自慢話しでした!

トホホ 長生村に歴史的建造物なし 

NAVITIMEで長生村の歴史的建造物を検索すると、歴史的建造物はありませんとなる。どんな! じゃらんnetでもおんなじ。 まあ、有るとは思ってなかったけど、やっぱりないんですかね?

長生村内には神社が9、お寺は8箇所あるけどそれらは歴史的建造物じゃないらしい。だけど・・・

一松にある本興寺の山門(四足門)は村の指定文化財だ。
この山門の前に「元禄津波溺者之霊」の供養塔がある。

同じく一松にある深照寺にも津波の供養塔が6基建っている。

元禄津波は、元禄16年(1703)11月23日午前3時頃に波高最高6mぐらいの津波が押し寄せた。一松郷内では多くの犠牲者を出したそうな。

これらの供養塔は建造物じゃないけど津波災害を記録する貴重なものだ。東日本大震災の津波被災地で、過去の津波記録が防災意識の上で非常に大事であったと言われているけど、海に面した当地でもこれらの供養塔は津波に対する心構えのうえで貴重なものだと思う。

その他、長生村指定文化財の建造物は、三嶋神社本殿、一松神社社殿、浅間神社社殿がある(なんか神社ばっかりですね)が、ワンランク上の県指定文化財には建造物はないことから、長生村指定文化財じゃ歴史的建造物にはならないってことなんですね(笑)。NAVITIMEやじゃらんnetで言うところの歴史的建造物とはせめて県指定文化財じゃないといけないんでしょね!

建造物じゃないけど比較的新しいものでは「長生観音」があります。建立は平成2年(1990年)に長生村の観光協会が建立しました。台座には広島県竹原市にある不老山長生寺から拝受した御祈祷札を奉納しているそうです。広島に長生の名がついたお寺があるとはびっくりですが、なにか長生村と関係があるのでしょうか? 単なる名前が同じだからですかね? そのへんはよくわかりません。

「村民の家内安全、繁栄、交通安全、海難無事故を祈願している」とありますが、道路から脇に入ったところにひっそりとあり、まったく目立っていません! わざわざ訪れる人もそう多くないようです。周囲の環境もあまり良くなく、訪れた人をがっかりさせるでしょう! 少し救いなのは、長生観音の入り口にある二三屋(にいさんや)のはまぐりラーメンが美味しいことですかね。二三屋さんは民宿兼お土産屋さん兼食堂を経営しています。

その二三屋の向かいには、長生村で唯一の温泉スパ「太陽の里」があります。ここの建物は立派です。あと100年後には歴史的建造物になれるかな?

長生村内ではないですが、長生村から白子町に入ってすぐのところにある白子町中里の八幡八坂神社の扇垂木(オウギダルギ)は、白子町指定文化財になっています。ちょうど我が家から白子町にあるスーパーに買い物に行く途中の交差点にあるのですが、赤信号で停車したときに説明板を読むのですが、1回の信号待ちでは全部読めないので調べてみました。

八坂神社の本殿は、延宝年間(1676~1680)の建立と推測され、「扇垂木」と言う建築様式で、白子町の指定文化財になっているそうです。現在は覆殿で囲われていて見ることができません。禅宗の寺院建築に用いられる放射状に配置された垂木のことのようです。

 

長生村ってちょうせいむら?それともちょうせいそん?

千葉県で唯一の村である長生村だが、ブランド野菜には「ながいき村」と命名しているが、正式には「ちょうせいむら」なのか「ちょうせいそん」なのか? 村人のなかにも、結構「ちょうせいそん」という人がいるが、正式には「ちょうせいむら」と呼ぶのである。何を隠そう、我が家の長女は、中学生のころからしきりと「ちょうせいそん」と言っていた。アメリカに留学していた時も、送ってくる郵便のあて先は必ず「chosei-son」と書いていたっけ。なぜそんなにも「そん」にこだわるのか、一度聞いてみようと思う。

調べてみると、日本の村で正式に「そん」と呼ぶ村もあるのですね。鳥取県の日吉津村(ひえづそん)、岡山県(全2村)、徳島県の佐那河内村(さなごうちそん)、宮崎県 (全3村)、鹿児島県の大和村(やまとそん)・宇検村(うけんそん)、沖縄県(全19村)ということで、全国28の村が「そん」と呼んでいることがわかりました。

そうなると、そもそも村ってなんじゃ?町とどうちがうのか?という疑問が涌いてきました。

これも調べてみると、地方自治法上では村と町の違いはないようです。本質的には同じ とはいうものの、現行制度でも 町と村との2種類は厳然として存在し、町になるためには県条例で定める町としての要件を具えなければなりません(地方自治法第8条第2項)。それでは千葉県に於ける村が町になるための条件は

人口5千人以上を有する
中心市街地に全戸数の60%以上の戸数がある
商工業に従事するものが全人口の50%以上である
水道などの施設、公民館などの施設、側溝や街燈などの施設が整備されている
会社などの事業所、娯楽施設やホテルなど観光施設が相当数ある
以上の要件が満たされないと「村」のままとなる

我が長生村は人口は約15000人で、人口的には町になれる条件を備えていますが、中心市街地に人口の60%の戸数となると、9000人が住んでいなければければならない。長生村は昔は海岸沿いに集落が多く人口も多かったが、その後国道沿いや隣接する茂原市との境界付近の人口が増加。結果的に全村的に人口が分散して住んでいるかたちになっている。とても中心市街地に人口の60%がというわけにいかない。長生村の村人は、「町になれるけど村でいるのよ」と言うが、この条件だとちょっとあやしい。

日本全体をみても、どうやら村は「絶滅危惧種」のようで、平成の大合併によって相当数の村が消滅してしまったので、絶滅の危機に瀕している。そんななか、なんとか村を存続させようという動きも出てきています。熊本地震でも被害の大きかった南阿蘇村ですが、36年ぶりという「村」の新設で話題になりました。2005年 阿蘇郡 白水村, 久木野村, 長陽村が合併して南阿蘇村になったわけですが、合併後の自治体を町とするか村にするかにつき住民アンケートが行なわれ、57%もの希望を集めた「村」になりました。このように村という名前を存続しようという動きがうまれはじめています。我が長生村も、合併よりも単独で村のままがいいという選択をしたわけです。どうやらその流れは正しかったようです。

 

田舎に多いあるものとは?

私は、長生村で暮らしてますが、仕事は東京で走り回っています。毎日田舎と都会を行ったり来たりしていると感じることがあります。田舎にあって都会にないもの? ひょっとしてこれの存在が田舎と都会を分けている(てなことはないでしょう)のかも?

もったいぶらないで発表しましょう。それは「コイン精米機」が有るか無いかです。「コイン精米機」とは、玄米を精米してくれる機械のことで、コインランドリーのように、お金を入れてスイッチぽんでおいしいお米が出てくるやつです。都会でしか生活したことがない人にはわからないと思いますが、田舎では、精米したお米だけでなく玄米も流通しているのです。

精米してあるお米を買う場合、多くの家庭では5Kgか10Kg入りの袋入りを購入しているでしょう。少ないと頻繁にお米を買わなくてはならず不便です。また、多すぎると美味しくなくなるばかりでなく、米虫が発生するなど保管上問題があります。味だけを考えれば毎回ご飯を炊く度に精米するのがベストらしいのですが、絶対に無理ですね! そこで、購入した(農家の方は自分で収穫した)玄米を、5Kgや10Kgづつ小出しに精米して食するのです。精米済のお米がなくなったらまた精米に行くという具合です。

「コイン精米機」を利用して、自分で精米したお米が一番美味しいのは分かっていても、玄米が手に入らなければ出来ない相談ですね。お米を作っている農家がある田舎では、知り合いの農家の方から分けてもらったりできます。美味しく食べられるし、安いのが魅力です。玄米の場合、30Kgか60Kg単位で購入することができます。60Kgの紙袋入りが、ちょうど一俵に相当します。農家の方から分けてもらう相場は60Kgで7500円から10000円位ですかね。精米すると少し減りますが、それでも精米されたお米より割安で、しかも美味しいのです。

ということで、農家の方から分けてもらえる環境(米作農家が多いってこと)だと、コイン精米機も多いってことになりますね。調べてみると長生村内には6か所コイン精米機があります。多いのか少ないのか判断するのには、他と比べるのがいちばんですね。隣の白子町は同じく6か所、同じく一宮町は4か所、茂原市は10か所と人口の割には少なめです。やはり農家の軒数が少ないのでしょうか。地元だけでなく、東京23区を見てみると、千葉県と接する江戸川区、江東区、葛飾区。埼玉県と接する足立区には、設置台数が多いですが、それ以外の区には存在しないようです。江戸川区、江東区、葛飾区の住人は千葉県民と交流が強い(親戚関係が多い)ので、玄米が入手しやすいのかもしれないですね(これは仮説です)。同じ東京でも23区以外(三多摩ってもう言わないんですかね)にはさすがにコイン精米機があります。そういう点では三多摩はまだ田舎?逆に都心にはなぜ無い?要するに都心に住んでる人が少ないからコイン精米機の需要もないのですね。でも都心に住んでる人口は長生村より多いですね! 考えてたらわからなくなってきました。