なんの取り柄もない外房に発祥地なんかあるのか?調べてみました。まずは我が家に一番近いところから。
■九十九里地引網発祥の地
南白亀川(なばきがわ)口近くの九十九里自然公園内に 波頭をかたどったモニュメントと発祥碑が建っています。
九十九里は江戸時代にはイワシの漁場として繁栄しました。九十九里地方に地引網漁法がもたらされたのは,碑文に書かれているように,紀州の漁師が悪天候のために漂着し,紀州で行われていた地引網を伝えたことに始まったとされています。九十九里一帯の地引網はここから広まったのです。
当時 漁獲されたイワシは食用のほか、干鰯(ほしか)に加工され日本各地へ肥料として出荷され,綿や藍の栽培,みかんやぶどう等の果樹の肥料として珍重されたようです。
江戸時代中期には この地域の漁民は数万人にも達して全国一の規模だったそうですが、今では見る影もありません。現在では,九十九里の各地で 観光地引網がおこなわれ、細々と当時の漁が受け継がれている状況です。
■天然瓦斯井戸発祥之地
いすみ鉄道の大多喜駅から南に800m行ったところにある「上原」バス停の前に「天然瓦斯井戸発祥之地」と 刻まれた石碑と,「天然ガス井戸発祥の地」という説明板が並んで建っています。
この地での天然ガスの発見は比較的はやくて明治24年です。 碑文にはこう書かれています「醤油醸造業を営む山崎屋太田氏が,屋敷内で水井戸を掘ったところ, 泡を含む茶褐色の塩水ばかりで,目当ての真水は一滴も湧出しなかった。 これに気落ちした氏が,口にしていた煙草を何気なく水中へ投げ捨てると, 水泡はたちまち青白い炎を挙げて盛んに燃え出した」。 これがきっかけで 周辺ではガス井戸が掘られ 自家用として利用されるようになった。 昭和初期に 大多喜地方のガス井戸の数は数十ヵ所あったという。その後天然ガスが企業化され昭和8年に大多喜天然瓦斯(株)が設立され,都市ガスとして供給されることになった。私が幼少期を過ごした東京都杉並区でも都市ガスを使えるようになったのは昭和30年代なので、千葉の田舎で昭和初期に都市ガスというのは、かなり早いといえます。
房総半島を中心とした南関東一帯に広がる「南関東ガス田」は、メタンガスが主成分で地下水に溶け込んだ状態で存在します。我が家の近所にもガス井戸がありますし、近所の農家の方の庭では、自然にメタンガスが噴き出しているところもあります。平成16年に発生した九十九里町いわし博物館での爆発は、天然ガスが原因とされていますが、便利な天然ガスも時には厄介な存在です。
次回へ続く
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