伊能忠敬は九十九里浜の出身だったんだ?

伊能忠敬といえば、五十歳を過ぎてから日本の浜を歩いて測量し 日本地図を完成させた江戸時代の地理学者、測量家として有名ですが、なんと生まれが九十九里浜だったんですね。知ってました?

伊能忠敬は現在の千葉県山武郡九十九里町小関の名主の家で生まれました、幼名は三治郎。その後伊能家に婿入りし、忠敬と名乗ります。伊能家は現在の香取市佐原にある酒造家。忠敬は傾きかけていた伊能家を再興、かなりの財産を築き50歳で隠居する。その後江戸に行き、暦学、天体観測を取り組み、蝦夷測量により地図を作製、この地図の出来がよかったため、幕府より日本全国の地図作成を命ぜられる。

日本全国を歩いて廻り、『大日本沿海輿地全図』を完成させ74歳で亡くなる。

みんさん御存じの伊能忠敬の一生ですが、千葉県しかも九十九里浜の出身とは知りませんでしたね。出身地の九十九里町では、九十九里町小関にある伊能忠敬の生家跡地を「伊能忠敬記念公園」として整備し、銅像も建立されています。

なんといっても伊能忠敬の凄いところは、日本地図の製作を隠居後の第2の人生で成し遂げたことでしょう。当時の平均寿命をとっくに超えてからだと思います。一生かかっても出来ないような仕事を人生の半分でやってしまうなんて凄いですね。そんな忠敬なので、生家以外にもあちこちに史跡があります。伊能家があった佐倉には伊能忠敬記念館、江戸深川には伊能忠敬住居跡の碑がといった具合です。

その中でもユニークなのが、2016年6月5日に開催された「第7回浜マラソン in 山武(さんむ)・九十九里」でしょう。「浜マラソン」という新しいカテゴリーのレースで、伊能忠敬が全国の浜を歩いて測量したことを顕彰しているのです。

競技種目は、40Km、20Km、10km、駅伝(10km×4人)の4部門です。いずれも千葉県北東部、山武市の本須賀海水浴場をスタート・ゴールとし、1周10㎞の周回コースで行われます。この大会のユニークなところは、水を含めレースに必要な行動食は、ランナー自らが背負って走らなければならないということです。スタート前には、レース中の必需品検査が行われ、必需品が未携帯の場合、ペナルティ が与えられます。他のマラソンにはチョット無いルールでおもしろいですね。

この100%浜辺を走る「浜マラソン」は、房総半 島の中でも特に美しい浜や海を満喫しながら走れるのも魅力です。浜を走りながら、遠く伊能忠敬の偉業に思いを巡らすのも良いのではないでしょうか?

投稿者: じやお

田舎暮らしを始めて25年、田舎暮らし最高!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です